今の子供たちは何を考えているのか?

なおやん

2011年04月20日 11:08


塾の講師になった友達から、最近の子供たちについて教えてもらった。

普段から大人はたくさん接しているので、どういう状況なのかはわかるけど、

子供と接することはあんまりなかったので、興味があって聞いていた。



すると、びっくりする話がぞくぞくでてくるではないか・・・。

「好きなこと何?」って聞いても、答えられる子供がいない・・・。

「将来何になりたい?」って聞いても、「休みが多くて給料が高いとこ」って答える・・・。

「何をしてるのが楽しい?」って聞くと、「楽しいのはバレーやけど、部活は吹奏楽をやってる」とか・・・。



まずいぞ、これは、ここまで子供って夢を描けない世の中なのかってショックを受けてしまった。

すまん、子供たち、これって大人を見て、そう思ってるんやろうな。



恐る恐るさらに聞いてみた、

「何のために勉強してるの?」って聞くと、「いい学校に行きたいから」

「なんでいい学校にいきたいの?」って聞くと、「なんとなく、、、それが普通やし」



「勉強しても成績が上がらない」って悩んでいたけど、そりゃそうや。

本当は、自分が心の底から成績を上げたいって思ってないから。

何のために勉強するのかっていう動機が本人にないからだ。



この気持ちは、痛いほど分かる、僕もそうやったから。

家庭教師をしてた時も、同じような生徒たちもたくさん見てきた。



聞いているだけでも、子供が心から笑っていないのが伝わってくる。

ワクワク好奇心が満開なはずの子供まで、もうセンサーが消えつつあるとは。

これじゃあ、早く大人になりたいなんて思えないよな。



いてもたってもいられなくなって、友達にお願いした。

「頼むわ。何のために勉強するのか?ってのを子供に聞いてあげてくれ。」

「親が望む理由じゃなくって、子供自身が本当に何をやりたいのかを聞いてあげてくれ。」って。



すると、普段から僕の考えてることとか、先生から教わっていることを

理解してくれている友達だったので、友達自身もそれが必要だと考えていたみたいだった。

「講師の前に、ぶっとんでて楽しい大人もいるよ」ってのを伝えたいと思っていたそうだ。

よかった、まじで、これで子供の目のキラキラがきっと戻るはず♪



僕が子供の頃の先生で、最高だったなと今も感謝している人がいる。

小学三年生のたった1年間だけやったけど、この人といるだけでクラス中がいつも笑ってた。

なんで、1年間やといと、やっていることが非常識ってことで、他に飛ばされたからだった。

子供心に、「なんでこんなにいい先生が他に行かされる訳?」って納得がいかなかった。



この先生は、授業と授業の合間、昼休みはもちろん、放課後でも、

いつもグラウンドに出てきて、真剣に子供と一緒にドッチボールをしてくれてた。

ドッチボールの大会が学校であるから、それに向けて皆で練習するために。



僕らは、練習って感じじゃなく、クラス全員で遊んでいる感覚しかないぐらい楽しかった。

運動神経がいい子には、先頭に立ってみんなを守りながら、連携プレーで攻める方法を教えた。

運動が得意じゃない子にも、上手くよける方法とか、味方を頼る方法を教えた。

これは差別じゃなくって、その人にあったできることを探して、それを楽しもうという教えだった。

だから、一部だけ盛り上がるんじゃなくって、クラス全員でチームとして夢中になった。



チャイムが鳴ったらダッシュで教室に戻る。先生もダッシュで教官室に戻る。

次の授業が始まるころには、みんな汗だくやけど、楽しくって仕方がなかったな。



もうひとつ、常識をやぶったことをやってくれた。

それは、何かを頑張ったり、貢献したりした人に、皆の前で誉めて、飴玉をこそっとくれた。

大好きな先生から誉められる嬉しさ、飴玉というご褒美は表彰状をもらったような気持ちにさせてくれた。



噂を聞きつけた他のクラスがいつものぞきに来ていた。

「いいなぁ、飴玉もらえて。」とか、「めっちゃ楽しそうやな」とか、反応はそれぞれやったけど、

明らかに他のクラスにはない「楽しい空気」がこのクラスにはいつもあった。



ところが、この飴玉が問題になった。

「学校で先生が子供にお菓子をあげるなんて非常識だ」ってことでお叱りを受けていたみたいやった。

確かにそうかもしれん。でも、僕達が毎日学校を楽しめていたのはこの先生のおかげ。



先生は、叱られたことに少し気持ちが沈んでいたみたいやったけど、

その後も、飴玉廃止以外は変わらずに僕らと接してくれた。

そうした矢先、先生が転校すると聞かされた。



学校は勉強するところ。だからルールを守って従うのが当たり前。

確かにそう。それはわかる。けどさ、子供を楽しませるために先生がいてもいいんじゃない?



楽しむことが思い切りできれば、きっと子供は大人の言う事を素直に聞くよ。

勉強も、もっとやってみようって思うかもしれん。

勉強ができなくても、友達を作ったり、スポーツや芸術の方で頑張れるかもしれん。



自分が楽しいで満たされてると、人のことを考えてあげられる余裕が生まれるよ。

楽しくないから、八つ当たりしたり、反抗したり、人を傷つけたりしてまうんやろう。

この1年間は、友達とけんかもしたけど、後腐れなんて一切ない。むしろ仲が良くなった。



無理がないから、言いたいこと言い合ってぶつかって、そんで仲直り、で後スッキリみたいな。

強制されなくても、自分でやりたいって手を上げることもできるようになる。

掃除や委員会とかも、楽しもうって切りかえられるようになったしね。



イチローが「人生の師ってどういう人ですか?」と聞かれると、

「子供の夢を邪魔しない大人」と答えたそうです。



常識に縛られた大人は、子供が挑戦したいと言った時に、

「無理だ。非現実的だ。できるわけがない。心配だからやめて。」と多くの人が言う。

夢を叶えた数少ない人は、そういう大人の意見を聞かずに、自分を貫くことができた人。



そうじゃないよな。大人って邪魔してるよなってことに気付かないとな。

大人が変わらなければ、子供はいつまでたっても自分らしく生きられない。

親の希望に添った子供を作り上げてしまう悲しい結果にならないためにも。



でも、きっと大丈夫。

「子供が楽しいことが一番」って考え直してくれる大人もたくさんいるから。

そういう大人が増えれば、きっと子供は勝手に育っていくんやろね。


関連記事