2005年07月29日
友達の存在感 ②
友達が大事だと思う瞬間がある。
普段は「友達はいて当たり前」だからあたらめてありがたみを
感じることは少ないように思う。
でも、こんな時はどうだろうか?
・困っている姿を見て気にかけてくれた時
・悩んでいる時に話を聞いてくれた時
・失恋で悲しみに沈んでいる時にさりげないやさしさに触れた時
・気分が沈んでいる時に遊びに誘ってくれた時
このことからも分かるように、自分が正常、つまり幸せな状態
にいる時にはあまり感じなくても、何かしら厳しい状況に立たされて
いる時の「友達の心遣い」はとても身に染みます。
言い換えてみれば、自分が幸せな時と言うのは、
「他人の微妙な気持ちに対するアンテナ」があまり立っていない
とも言えるのではないだろうか?
私は自分で言うのもなんだがかなりのお節介だ。
悩んでいたり困っている人を見るとどうしても首を突っ込みたくなる。
気をつけないといけないのが、話を聞いてもらって嬉しい時と、
話したくない時があるだろうから、自ら動かないようにはしているつもりだ。
「何かあったらいつでも言ってきてくれ」
というスタンスでいれるように。
これは偽善と取れるかもしれないが、
相手の自分に対する評価を上げるためにやっている訳ではない。
自分が困った時なんかは気にかけてくれると嬉しいから、
相手にも当然同じことをしようと思っているだけだ。
つまり、自分のためにやっているといってもいいかもしれない。
「義理」という考え方は古いという人もいるけど、
私にとって人間関係の義理人情は欠くことのできない大事な
要素である。
「ドライ」な人間関係に興味は全くなく、
お互いを深く理解し合える「熱い」関係を
望んでいるからかもしれない。
「人を大事にする」と言葉で言うのは簡単だが、
常日頃から行動できるのは容易なことではない。
「他人に求める前に、自らが与えること」
これがなかなかできることではないからだ。
つづく
普段は「友達はいて当たり前」だからあたらめてありがたみを
感じることは少ないように思う。
でも、こんな時はどうだろうか?
・困っている姿を見て気にかけてくれた時
・悩んでいる時に話を聞いてくれた時
・失恋で悲しみに沈んでいる時にさりげないやさしさに触れた時
・気分が沈んでいる時に遊びに誘ってくれた時
このことからも分かるように、自分が正常、つまり幸せな状態
にいる時にはあまり感じなくても、何かしら厳しい状況に立たされて
いる時の「友達の心遣い」はとても身に染みます。
言い換えてみれば、自分が幸せな時と言うのは、
「他人の微妙な気持ちに対するアンテナ」があまり立っていない
とも言えるのではないだろうか?
私は自分で言うのもなんだがかなりのお節介だ。
悩んでいたり困っている人を見るとどうしても首を突っ込みたくなる。
気をつけないといけないのが、話を聞いてもらって嬉しい時と、
話したくない時があるだろうから、自ら動かないようにはしているつもりだ。
「何かあったらいつでも言ってきてくれ」
というスタンスでいれるように。
これは偽善と取れるかもしれないが、
相手の自分に対する評価を上げるためにやっている訳ではない。
自分が困った時なんかは気にかけてくれると嬉しいから、
相手にも当然同じことをしようと思っているだけだ。
つまり、自分のためにやっているといってもいいかもしれない。
「義理」という考え方は古いという人もいるけど、
私にとって人間関係の義理人情は欠くことのできない大事な
要素である。
「ドライ」な人間関係に興味は全くなく、
お互いを深く理解し合える「熱い」関係を
望んでいるからかもしれない。
「人を大事にする」と言葉で言うのは簡単だが、
常日頃から行動できるのは容易なことではない。
「他人に求める前に、自らが与えること」
これがなかなかできることではないからだ。
つづく
Posted by なおやん at 11:18│Comments(0)