2011年06月19日
トラウマに挑むの巻
まさか、こんな感情が眠ってるとは・・・びっくりや。
悶々を通り越えて、深い海の底に沈んでしまったみたいな感覚っ。
いつもみたいに笑うことができんくて、人と会うのが辛いなんて。
俺にもトラウマがあったんやなぁ。
気分が沈んでて、早く抜け出したくていつもの診察へ。
キナタツ「心のスイッチがOFFになってるよ。8歳ぐらいから。」
俺「えっ。。。何もする気にならないのはそれが原因?」
キナタツ「そう。暗闇の中を行動しようとしたらそら怖いわ。」
俺「スイッチの意味があんまり分かりませんが。。。」
キナタツ「好奇心のままに周りを気にせずに無我夢中で動いてることないでしょ?」
俺「沖縄移住がそれだと思うんですけど、違いますか?」
キナタツ「違うねぇ。ONになったことないんかもな。」
キナタツ「プラスの話が入らないし、冷めた目で見てるよな。」
俺「・・・(だいぶ混乱状態)。ONできますかね。」
キナタツ「原因は置いといて、スイッチ入れたるわ。はい、これで。」
俺「本で入るならすぐ読みます。3回?何が何でも読みます。こんな苦しいの嫌なんで。」
スイッチOFFになってるかぁ・・・。よくわからねぇ。
8才の時、何があったんやろう?嫁とオーリングでチェックしてみよっと。
夜、行きつけの焼き鳥屋さんで、診察について嫁に聞いてもらった。
習い事をやらされるようになったのは9歳ぐらいやから、それはもう解放したはず。
海の旅館で、海鮮が一切食べれずに、すごい罪悪感を感じたこともあった。
それかなぁ?反応しないので違うな、これも。
あっ、8歳でやってたといえば習字。
チェックしてみると、思いの外、楽しんでやってたみたい。
そういえば、、、習字を辞めた理由をめっちゃ覚えてる。
そこの先生の変な癖がつくからって理由で辞めた気がする。
自分で辞めたいって言ったのか、親が言ったのかは忘れたけど、
変な理由で辞めたなぁと未だに覚えてるから、相当印象深かったんやろな。
始めるのも辞めるのも自分の意思じゃないところで決められるってのが
自分の心のスイッチをOFFになっていった原因なのかもしれん。
結局、信じられていないって無意識に思うやろからね。
唯一、習い事で、自発的にやりたいって言ったのがサッカー。
それを図るとONの反応が出てる。おおっ、やっぱり自分の意思を通してると出てる。
10年以上も続いたのは、自分の好奇心に従ったからやろうな。
そう考えると、怖いね、たかだか習い事で、トラウマになるんやから。
子供の頃を振り返ると、ダダをこねたり、反発して逆らったり、
ボイコットしたりってことがほとんどなかったな。
周りからは「しっかりした子」ってよく言われてたけど、
そうじゃないんよな。ただ、従順に誰かの意向の通りに従っていただけ。
だから大人になってからも好きなことが分からなかったし、
何をやりたいのかってのもあんまり思いつかなかった。
子供の頃に、自我よりも他人のことを優先させてきた結果、
好奇心のままに生きるってのが、感覚的に分からないでいたんやな。
今、行動すればするほど、苦しくなっていたのは、その後遺症。
ほんとなら、自分で決めたことなら、楽しく工夫してやっていけばいい。
上手くいったら「おしっ」。上手くいかなかっても「くそ~」って頑張れる。
だけど、他人に承認されることに意味を感じてるもんやから、結果が出ないと苦しくなる。
苦しくなると、自分を責めるし、他人を変えようともするから、さらに悪循環やな。
これまで診察で色んなマイナスの感情を手放してきたけど、
ようやくマイナス感情の本命があぶり出てきた感じやわ。
子供がダダこねるのは、「自分を認めて」って叫んでるんやね。
それを大人の価値観で、正しさで、ねじ伏せると、心のスイッチがOFFになるんやな。
子供が出来る前に、このトラウマに気付けてよかった。
気付いていないと同じようなことを、また子供にやってしまうからね。
気付いたところで、すぐに心が切り替わるわけじゃない。
特に今回は、俺の心の歪みの中でも一番大きくてやっかいな問題やからね。
ただ、苦しくなる原因がつかめたのですごいほっとしたわ。
この週末は、あんまりアクティブにならずに、
温泉はいったり、空眺めたり、ぼ~っとしながら本を読んだり、
掃除したりしながら心の内側を見つめることにした。
もう、こりごりです、こういうトラウマで苦しむのは。
とっとと、解放させて、個性だけで楽しく勝負したいね、ほんまに。
こんなもんじゃないでしょ、まだまだ本気出せてないでしょ。
やりたくってやりたくって仕方なくって、周りも気にせずに子供のように
好きなことをやっていきたい。
何気にブログのタイトルに書いてる「好きなことして楽しく生きる」ってのは
今世のタマシイの課題を解消させるって裏の意味があったんやね。
目をそらさずに、トラウマに向き合ってる自分を褒めてあげたいわ。
これを乗り越えられた時、怒涛の勢いがドバーって出てくるんやろう。
それまでは、ちょっと大変やけど、ちょっとずつでも受け入れていこう。
見守ってくれる先生も、分かってくれてる嫁もいることやしね、心強いわ。
悶々を通り越えて、深い海の底に沈んでしまったみたいな感覚っ。
いつもみたいに笑うことができんくて、人と会うのが辛いなんて。
俺にもトラウマがあったんやなぁ。
気分が沈んでて、早く抜け出したくていつもの診察へ。
キナタツ「心のスイッチがOFFになってるよ。8歳ぐらいから。」
俺「えっ。。。何もする気にならないのはそれが原因?」
キナタツ「そう。暗闇の中を行動しようとしたらそら怖いわ。」
俺「スイッチの意味があんまり分かりませんが。。。」
キナタツ「好奇心のままに周りを気にせずに無我夢中で動いてることないでしょ?」
俺「沖縄移住がそれだと思うんですけど、違いますか?」
キナタツ「違うねぇ。ONになったことないんかもな。」
キナタツ「プラスの話が入らないし、冷めた目で見てるよな。」
俺「・・・(だいぶ混乱状態)。ONできますかね。」
キナタツ「原因は置いといて、スイッチ入れたるわ。はい、これで。」
俺「本で入るならすぐ読みます。3回?何が何でも読みます。こんな苦しいの嫌なんで。」
スイッチOFFになってるかぁ・・・。よくわからねぇ。
8才の時、何があったんやろう?嫁とオーリングでチェックしてみよっと。
夜、行きつけの焼き鳥屋さんで、診察について嫁に聞いてもらった。
習い事をやらされるようになったのは9歳ぐらいやから、それはもう解放したはず。
海の旅館で、海鮮が一切食べれずに、すごい罪悪感を感じたこともあった。
それかなぁ?反応しないので違うな、これも。
あっ、8歳でやってたといえば習字。
チェックしてみると、思いの外、楽しんでやってたみたい。
そういえば、、、習字を辞めた理由をめっちゃ覚えてる。
そこの先生の変な癖がつくからって理由で辞めた気がする。
自分で辞めたいって言ったのか、親が言ったのかは忘れたけど、
変な理由で辞めたなぁと未だに覚えてるから、相当印象深かったんやろな。
始めるのも辞めるのも自分の意思じゃないところで決められるってのが
自分の心のスイッチをOFFになっていった原因なのかもしれん。
結局、信じられていないって無意識に思うやろからね。
唯一、習い事で、自発的にやりたいって言ったのがサッカー。
それを図るとONの反応が出てる。おおっ、やっぱり自分の意思を通してると出てる。
10年以上も続いたのは、自分の好奇心に従ったからやろうな。
そう考えると、怖いね、たかだか習い事で、トラウマになるんやから。
子供の頃を振り返ると、ダダをこねたり、反発して逆らったり、
ボイコットしたりってことがほとんどなかったな。
周りからは「しっかりした子」ってよく言われてたけど、
そうじゃないんよな。ただ、従順に誰かの意向の通りに従っていただけ。
だから大人になってからも好きなことが分からなかったし、
何をやりたいのかってのもあんまり思いつかなかった。
子供の頃に、自我よりも他人のことを優先させてきた結果、
好奇心のままに生きるってのが、感覚的に分からないでいたんやな。
今、行動すればするほど、苦しくなっていたのは、その後遺症。
ほんとなら、自分で決めたことなら、楽しく工夫してやっていけばいい。
上手くいったら「おしっ」。上手くいかなかっても「くそ~」って頑張れる。
だけど、他人に承認されることに意味を感じてるもんやから、結果が出ないと苦しくなる。
苦しくなると、自分を責めるし、他人を変えようともするから、さらに悪循環やな。
これまで診察で色んなマイナスの感情を手放してきたけど、
ようやくマイナス感情の本命があぶり出てきた感じやわ。
子供がダダこねるのは、「自分を認めて」って叫んでるんやね。
それを大人の価値観で、正しさで、ねじ伏せると、心のスイッチがOFFになるんやな。
子供が出来る前に、このトラウマに気付けてよかった。
気付いていないと同じようなことを、また子供にやってしまうからね。
気付いたところで、すぐに心が切り替わるわけじゃない。
特に今回は、俺の心の歪みの中でも一番大きくてやっかいな問題やからね。
ただ、苦しくなる原因がつかめたのですごいほっとしたわ。
この週末は、あんまりアクティブにならずに、
温泉はいったり、空眺めたり、ぼ~っとしながら本を読んだり、
掃除したりしながら心の内側を見つめることにした。
もう、こりごりです、こういうトラウマで苦しむのは。
とっとと、解放させて、個性だけで楽しく勝負したいね、ほんまに。
こんなもんじゃないでしょ、まだまだ本気出せてないでしょ。
やりたくってやりたくって仕方なくって、周りも気にせずに子供のように
好きなことをやっていきたい。
何気にブログのタイトルに書いてる「好きなことして楽しく生きる」ってのは
今世のタマシイの課題を解消させるって裏の意味があったんやね。
目をそらさずに、トラウマに向き合ってる自分を褒めてあげたいわ。
これを乗り越えられた時、怒涛の勢いがドバーって出てくるんやろう。
それまでは、ちょっと大変やけど、ちょっとずつでも受け入れていこう。
見守ってくれる先生も、分かってくれてる嫁もいることやしね、心強いわ。
Posted by なおやん at 22:50│Comments(1)
│ついてる話
この記事へのコメント
なんか似たようなことを、ちょうど今日考えてて
感動してしまったのでコメントしました。
私もやりたいことやろうとしている最中で、これに関しては確信めいたものがあります。
感動してしまったのでコメントしました。
私もやりたいことやろうとしている最中で、これに関しては確信めいたものがあります。
Posted by nao at 2011年11月01日 19:04