2011年07月20日

自炊男子


ん~と、「自炊男子」が処方された。

ことある毎に「料理」というキーワードが出てくる。

一体、俺にとって料理って何の意味があんのやろか?



読み始めてみると、主人公の男子と自分がかぶる。

はっきり言って、料理にこだわりは全くない。

何食べたい?って聞かれても「特に・・・」という感じやし。



だからと言って何でも食べれるわけもなく、結構偏食やったりする。

特に海鮮系や刺激系なんかは、すっごい苦手で避けてきた。

休みの日は、1食になっても全然平気やし、食の重要度は低めやった。



一緒に住み始めた頃、よく嫁に注意されたのも料理。

「ありがとう」とか「感謝の気持ち」ってヤツがなくって、怒られたりした。

こっちも悪気があるわけじゃなくって、ただ自然とそういう気持ちが湧いてこないのだ。



実家では、母親が当たり前のように作ってくれてたし、

それを食べるのは当たり前で、男家族はみんな料理にタッチすることもなかったな。

料理とは主婦が作るのが当たり前で、男たちは外で働くものみたいな常識が

我が家でも何の疑問もなく、出来上がっていったようにおもう。



一人暮らしをした時から、食費を切り詰めるために自炊をやり始めたけど、

料理を作ってて、楽しいって気持ちはあんまりなく、ただお腹を満たすためという感じやった。

同棲、結婚してからは、嫁が作ってくれるようになったので、ぱたりと料理を作ることもなくなった。



男には料理は必要ない。

過去からの習慣がそう思わせてきた、ずっと。

料理に対しての感情が無に近い俺に、なんで今更料理が処方されるんやろう?



半ば疑いながら自炊男子を読み始めると、はっとされられた。

「料理は作ってくれた人の命を頂いてるから、頂きますと言い、感謝する」

この言葉にびっくりした。



食べ物は生命そのものやから、それを頂くから、命に対して頂きますを言う

ってのはよく聞いてたけど、作ってくれた人の命を頂くって意味が最初、分からなかった。



ここで言う命とは、時間のことであり、作ってくれた人は、人生の中で貴重な時間を

相手のために割いているということ。だから美味しい、まずいは二の次で、命を割いて

くれたことへ感謝するのは当たり前のことだって意味やった。



「作ってくれた人の命を頂いてる」



考えたこともなかったけど、とっても腑に落ちた。

俺に決定的に足りないのが、これや~って衝撃が走ったよ、まじで。

料理は美味しい、まずい、二つの基準しかないと思ってたけど、大きな間違いや。



米を作るにも、農家さんの重労働、自然の恵み、配達してくれる人、スーパーで売ってくれる人

いろんな人達の力で数千円程度で買うことができて、

調理してくれる人がいて初めて食べることができる。



それに対して、無感動ってのはすっごい失礼よな、ほんまに。

美味しい、まずいの前に、いろんな人達の気持ちを想像して、自然と感謝の気持ちが

出てくるのが自然やよな。



小さい頃から、食卓に料理が出てくるのが当たり前で、

食卓に出るまでに、どれほどの人の力によってここまで運ばれたのかを

知ってたつもりやったけど、感情の面で理解できていなかったな。



料理は、愛情そのものやねんな。

大変な思いをして育ててくれた人の気持ちに感謝して、自然にも感謝して、

自分が楽しく調理して、さらに目の前の人に喜んでもらうのが料理。



口すっぱく言われたのが、

「自分が食べたいって思うものをおいしく作ろう」って基本的な感情を大事にすることやった。

ついつい、自分のことは置いといて、相手のことばっかり考えるから、無理が出てきやすい

俺の性質を見抜いての助言なんやろうな。



料理を自分で楽しく作ることで、気持ちにすごい変化が出てきそうな気がする。

作ってもらう時も、命を頂いてありがとう。作る時も、命を頂いてありがとう。

食べてもらう時も、一緒に命を感じてありがとう。



自炊男子、ここに誕生♪


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Posted by なおやん at 23:44│Comments(0)ためになる話
 
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