2009年10月10日

結果よりも大事なこと


働く意味を考えるようになった。

今まで何の疑問も感じていなかったけど、

ある人の言葉で

「当たり前と思ってたけどもしかしたら違うのでは?」

って思い当たる節があった。



これまでは、結果にこだわっていた。

特に仕事に関しては、終わらせることが第一だった。

終わらせるためには多少の無理があっても辛抱するし、

常にピリピリする空気の中で働いていた気がします。



効率化を求める風潮に当たり前のように合わしてると、

気がついたら、人と話すことも最小限にして黙々と机に向かっている。

無駄話やふと気を緩ますこともなく、1日中緊張が続てた。



責任というものを重石のように感じて、プレッシャーと戦う。

仲間であるはずの近くの人にも、責任を求め合う光景が少し異質だった。

こういうのが仕事での社会人のあり方だとずっと信じてきた。

ときどき、ふっとむなしくなることがあったけど考えることすら放棄してた。



「いったい何のために働いてるんやろう・・・」

ずっとこればっかり考えてる毎日に、気持ちはどんどん萎えてきた。

どっかでは、これは理想ではないって分かっていたからかもしれない。

この場所にいてはダメだと直感して、遠くに居場所を求めるようになった。



どういう環境になれば理想なのかはまだ分からない。

でも、今いるここにそのヒントがある確信はあった。

結果と効率化は必要なことかもしれないけど、それよりも大事なことがある。



生きている時間を、体を酷使して眉間にしわを寄せる時間に埋めたくはない。

どうせなら、いつでも笑ってて、大変だけど、楽しさの中に包まれていたい。

仕事の中にも、そういう人間らしさが出せる雰囲気はどうしても必要です。



神様という存在がもしいるのなら、人間にどう生きて欲しいんだろうか?

そんな時に、ある言葉を知った。

「働く」とは「はた」を「楽」にするというのが語源です。と。

はたというのは「周り」という意味で、周りの人を楽にするために働く意味がある。



日本語ってのはすごいなと思った。

言葉に深い深い意味と思いが詰まってるなと感動すらしました。

結果を出すってのは、仕事を依頼してくれた人に喜んでもらうためにある。



そんでもって大切なのは、仕事を一緒にやる仲間にも喜んでもらうためにある。

それは、自分の得意なことは周りの分もやってあげて、

その分、苦手なことは助けてもらって、お互いを活かしあい、それに感謝する。

それが働くという本当の意味のような気がしました。



お金と数字を第一に考えると、この意味がずれてくる。

売り上げが上がるのは、信頼してくれて仕事を頼んでくれる人がいるから。

一人では出来ないことを助け合いながら一緒に取り組んでくれる仲間がいるから。

だから、責任というのは、自分に出来る精一杯でそれに貢献する意識。

できないことも全て背負って重圧に耐える意味では決してないはずだ。



「どうすれば仕事を頼んでくれた人が喜ぶのか?」

「どうすれば仲間のいいところを出し合っていけるのか?」

それを追求し続けることができるのが、今の課題です。



それでも、どうしても難しい局面がくることもある。

その時に、この意味を思い出して、行動に出来るかがポイントです。

苦しい時こそ、ニッと笑って、ワクワクに変えていけるか。

それこそが、仕事の価値であって、やりがいでもある。



どの環境でも、本当の「働く」が実践できた時、次のステージが来る。

これでもできるか?というようなお試しがきっと来るんだろう。

今いる環境で、今できることは何か?ってことだけを考えたいもんやね。



一つの考え方しか出来なかったけど、教えられて衝撃を受けて、

考え方をシフトして、前よりももっといい感じに近づくことができています。

ありがたいことですね、まだまだ未熟者です。


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Posted by なおやん at 22:35│Comments(2)ためになる話
 
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